釜山から船で戻る途中で日本人のおじちゃんを見つけてお喋り。岩国の方だそうで韓国が気に入って何度も訪れているそうで今月末にもまた行くのだとか。
両替は行商のおばちゃんたちに頼むのが一番割がいいと教えてもらったのですが、一体いつそんな技がつかえることやら、、、韓国のターミナル利用料を払う前に両替を済ませてしまった私は乗船手続きのためにもう一度両替しなおすというポカをやらかしました。皆様両替は乗船手続き終わってからなさってくださいね〜(ToT)
山口県民は年間数千円払うといつでも関釜フェリー30%オフで乗れるんだとか。へ〜〜〜。
旅は道づれということで岩国までそのおじちゃんとご一緒しまして私はそのまま乗り継ぎつつ宮島へ。
フェリー乗り場が2つ、、どうすればいいの?と迷いました。
片道180円くらいだったと思いますが18きっぷで渡れるのはJRのフェリー。どちらも15分間隔で出ているので1本出ちゃっても安心して待ちましょう。
そこそこ乗る人います。18きっぷ人口もそれなりにいましたよ、帰りは団体様御一行と一緒になりました。島の点在する風景好きなのです。ずっとみてたい。
到着したら商店街ではなく参道ぽいところから行きました。鹿さんいましたよ。狛犬前あたりで乳母車に下がってたバッグを奪おうとしてました(^^;

船から撮ったときはまだ水の中にあった鳥居が地上に。私はなぜか鳥居に向かわずぐるりと反対の方へまわってパシャリ。鳥居のあたりはひとだかりです。美しい放物線を描く橋や結婚式や五重塔なぞを見てしゃもじを買い商店街を抜けたのに人混みがあまり得意でないのでにぎり天だけ買ってサクサク歩きすぎ、大きなしゃもじを見忘れました!ちょこっと食べたらスイッチ入って釜山のセブンイレブンで買ったツナキンパを船上でいただきました。なかなかのボリューム(20cmくらいあります)だしお安いし(200円くらい)切れてるしコレいいなぁ。



下船後はJRではなく広電へ。
恥ずかしながら行ったことのなかった原爆ドームへ向かいました。
初めて実物を目の前にしたらなんとも言えぬ気持ちになって、ぐるりと回っていったらボランティアガイドをしている方がいらしたので途中からでしたがお話を伺いました。資料館にも教科書にも載らない事実を知るのはショックな体験で、そのショックはきっと忘れてはならぬことなのだと思います。
ドームに行ったのは3/9。東京に戻ったのは3/11でそれは震災のあった日。その前の10日は東京大空襲のあった日。
突然明日が来なくなった人が沢山いる日。旅の後半は楽しみつつもずっと何かそういうことを考えながら走っていました。
東京に戻って夜の谷中を歩いているとき、前のお孫さんの手を引くおばあさんがお孫さんに、戦争の終わった時おばあちゃんはまだ子供でね、もう戦争しなくていいんだねってとっても嬉しかったのよ。負けたことが悲しいや悔しいより終わったことがとっても嬉しかったの。とお話ししてました。
私の祖父は私が小学校を卒業するころなくなりましたが、戦争の話はしませんでした。学校で聞いてきてくださいという宿題が出た時も怖くて聞けませんでした。孫には優しい祖父でしたが、その事には触れてくれるなという雰囲気を子供ながらに感じていました。背が低くて兵役を免除された祖父は小岩あたりに住んでいたので空襲も経験しています。薬などなく娘を肺炎で亡くしています。その頃の日本で若く健康な男の人が戦争に行かないというのはどんな事だったのだろうと考えます。


ごはん抜きに重くなってしまいました。
たまにはいいでしょうか。

ボランティアガイドの方のお話で内部被曝についても触れられていました。まだ今もわからないことが多いのだと。72年経ってもまだ終わらぬ事があるのです。
よく映像に映し出される慰霊碑にも手を合わせましたが、遺骨が納められているのは違う場所です。これも知らない方が多く慰霊碑には手を合わせに行くけどそこに手を合わせに行く人が少ないのだとおっしゃってました。
原爆供養塔です。
約7万柱の遺骨が納められているそうです。